2025年11月23日放送の『ザ・ノンフィクション』では、フィリピンで非正規滞在者として暮らす日本人男性、平山敏春さんの波乱に満ちた“第二の人生”に迫ります。
かつて日本で家族と暮らしていた彼は、2004年の渡航をきっかけに異国での生活を余儀なくされ、マニラ郊外で日銭を稼ぎながら、現地で出会った妻と子供との家族を築きました。
しかし、安定とは程遠い生活や健康問題、故郷への想いなど、老いを迎えた今も葛藤は尽きません。
知人に裏切られ、帰国もままならない状況の中、彼はどのような選択をしていくのか。人生の光と影を映す心揺さぶる物語をお見逃しなく。
最近気になるノンフィクションは平山敏春さんの人生です🧐 pic.twitter.com/eFkYeax6gG
— ヒロシ約19.2 (@hirl336) October 25, 2025
平山敏春さんの現在
非正規滞在になった背景
平山敏春さんが現在、フィリピンで非正規滞在者として暮らしているのは、長年の人生の波乱が影響しています。
日本を離れて以降、知人とのビジネスに裏切られ、資金も失い帰国の手段を絶たれてしまったことが大きな要因です。
在留資格の取得や更新もできず、結果として非正規滞在者となりました。
ここでのポイントは、非正規滞在は単なる本人の選択ミスではなく、予期せぬ出来事と状況が重なった“人生の偶然”の産物だということです。
今の生活と心境
現在、平山さんはマニラ郊外で乗合バスの呼び込みをして日銭を稼ぐ、非常に不安定な生活を送っています。
これは彼が10年以上に渡ってカメラに追われてきた報道内容にもある通り。
彼の年齢は70代半ば。
老いと体力の衰えは無視できないはずですが、それでも日々の暮らしに向き合い続ける姿は強さそのもの。
報道では「生まれ故郷や日本の家族への思い」が彼の胸の奥に残っていることも伝えられています。
好き好んで苦境を選んだわけではないだろうが、結果として彼の現在は非常に純粋な「人生の選択の証」。
日本を離れ、フィリピンで老後を過ごす彼の姿には、羨ましさと哀愁が入り混じっている気がします。
日本での過去
仕事と家族
平山敏春さんは、日本にいた頃、トラック運転手や土木作業員として働いていたと伝えられています。
また、彼には日本に家族がいて、妻と子どもたちがいたという過去があります。
運転手として汗をかき、土木現場でも体を張って働きながら、家族を支えていた昔の平山さんは、責任感が強く、根っからの働き者だったに違いありません。
ギャンブルと家庭不和
しかし、彼の人生に平穏だけがあったわけではありません。
報道によると、子どもの学費をギャンブルに使ってしまったという過去があり、それが妻との口論を絶えない原因になっていたそうです。
平山さんは家族との距離ができると同時にフィリピンパブにはまってしまいます。
私の感想としては、成功だけじゃなく失敗も抱えてきた男の物語にこそ、強さと哀愁があると思います。
家庭不和が彼の人生に影を落としたのは確かですが、それでも彼が最終的にフィリピンへ渡る決断をしたのは、ただ逃げたわけではなく、「新しい人生をつかもうとした勇気の表れ」だったのではないか、と私は思います。
参考文献:『https://www.fnn.jp/articles/-/791708?display=full』
平山敏春さんがフィリピンへ渡った理由
誘われた経緯
平山敏春さんが2004年にフィリピン行きを決意した理由は、一攫千金の夢を語る知人からの誘いがきっかけでした。
報道によれば、その知人は平山さんに「日本料理店をフィリピンに開かないか」と持ちかけ、彼も親近感を持って資金をかき集めて渡航したといいます。
まさに“日本料理で海外進出”というポジティブなビジネスの餌に乗った形。
しかし、その裏には甘い誘いだけでは済まされない現実も潜んでいました。
個人的には、夢と現実のギャップがここにはっきり出ています。
彼がその誘いを受けたのは、「新しい人生を切り拓きたい気持ち」と、「どこかで日本を離れてもやっていけるかもしれない」という淡い希望が混じった複雑な心境があったからではないでしょうか。
渡航後のトラブル
期待に胸を膨らませてフィリピンに渡った平山さん。
しかし、その先に待っていたのは、知人が資金をカジノに注ぎ込むという裏切り。
結果、平山さんは一文無しになり、店を開くどころか帰国資金さえ失ってしまったと報じられています。
この瞬間、彼の「ビジネスの夢」は瓦解し、まさに人生が急旋回したわけです。
当時の心境を平山さんは次のように語っています。
「何で俺、こんな所でこんなことしてるんだろう。何回か、もう死んだ方がマシだなと思ったことありますよ」
■https://news.yahoo.co.jp/articles/44c6e4cf53dcab4308eb57e292741e665c7f2af3より引用
さらに深刻なのは、この裏切りがきっかけで彼の在留の地位も不安定になったという点。
在留資格をきちんと取得・維持できず、正規のステータスを得られないまま、非正規滞在者としてひっそりと異国での生活を続けざるを得なくなりました。
この展開、なんともドラマチックですが、彼の人生における“賭け”が本物だったことを示しています。
フィリピンでの暮らし
現地での仕事
平山敏春さん現地でフィリピンで生計を立てる手段として選んだ仕事は、『乗合バスの呼び込み』という非常に地味でタフな仕事でした。
マニラ郊外のターミナルでバスに乗る客を誘導し、運転手からチップをもらうスタイル。
これはフィリピンでも特に報酬が低い部類の仕事だとされており、リスクも少なくありません。
呼び込み同士の縄張り争いや警察の取り締まりがあったようです。
想像してみると、平山さんが朝の熱気あふれるバスターミナルで、汗をかきながらバスを誘導している姿には、どこか戦場を生き抜く老人の矜持があるように思えます。
私としては、この仕事を続けてきた彼の根性は並大抵ではないと感じます。
生活環境
平山さんの生活は決して裕福ではありません。
彼は最初、英語やタガログ語も話せず、寝る場所も食べる場所も定まらない日々を過ごしたそうです。
彼を支えたのは、フィリピンの地元の人たち。
貧困地区の住民が食べ物を分けたり、居場所を提供したりしてくれたという温かなエピソードがあります。
これは、彼が「異国で無一文になっても生き延びられた」大きな理由のひとつです。
彼にとってフィリピンは、ただの逃避先ではなく、新しいコミュニティでもあったわけです。
また、将来的な病気や老いにも直面しています。
彼は冠動脈血栓症で倒れたことがあり、医療費さえ支払えない深刻な状況だったとのこと。
私が思うに、彼の生活は「自由」と「不安定」が共存する極上(?)のバランス。
この選択は決して楽ではないですが、彼は自分の人生を「最後まで自分の手で書き続けたい」と強く願っているように見えます。
妻と子供との生活
家族との出会い
平山敏春さんがフィリピンで築いた新しい家庭の中心には、内縁の妻・テスさんがいます。
平山さんはテスさんと、乗合バスで工場に通う日常の中で出会い、毎朝パンを渡して口説き、徐々に心を通わせていったそうです。
ほどなく二人の間には娘・マリコが誕生し、さらにテスさんの前夫との子や親戚ら、計7人が一つ屋根の下で暮らす大家族となりました。
平山さんは「日本とフィリピンで全く違う人生を生きている」と語りますが、日本に残した家族や親族は、平山さんがフィリピンで新しい家庭を築いたことを知りません。
個人的には、この出会いはまさに “偶然の積み重ねが運命を変える瞬間” の典型例だと感じます。
参考文献:『https://news.yahoo.co.jp/articles/44c6e4cf53dcab4308eb57e292741e665c7f2af3?page=2』
困窮しながらの子育て
フィリピンでの生活は決して楽ではありませんでした。
電気料金を払えずに停電することもあり、屋台での揚げ物販売に挑戦するも、屋台ごと盗まれる事件も発生したそうです。
それに加え、テスさんのバスマット作りの内職が唯一の収入源だった時期もあったようです。
しかし、平山さんは悲壮感を漂わせず、天性のタフさと穏やかさで家族と暮らしていました。
家族全員で果実を収穫したり、何気ない暮らしを家族と共有すし楽しんだりする日常は、金銭的には貧しくて困難の中でも愛情とユーモアを忘れずに生きる平山さんの姿は、見る人に静かな勇気を与えるでしょう。
日本への思い
故郷への葛藤
平山敏春さんの胸には、フィリピンで築いた生活とは別に、遠く離れた日本の故郷と家族への深い思いが根強くあります。
「生まれ故郷や日本の家族が恋しい」という言葉が紹介されており、その想いは彼の人生の静かな原動力でもあります。
一方で、長年連絡を取っていない日本の家族や親せきが、彼のフィリピンでの暮らしや新しい家庭のことを知らなかったという事実もあります。
日本の娘さんに週刊誌の取材で面会しており、その時次のように語っています。
「優しい父でした。何か事件にでも巻き込まれたと思っていたんですよ。まさかフィリピンにいたなんて」
■https://news.yahoo.co.jp/articles/44c6e4cf53dcab4308eb57e292741e665c7f2af3?page=3より引用
他にも弟がおり、家族を捨てた父を許していないといいます。
個人的には、これは “二つの世界を同時に生きる男の悲しみ” だと思います。
彼の居場所はフィリピンかもしれないが、心の一部はずっと日本にいるその矛盾が、彼をより人間らしくしています。
これからの決断
そして彼にとって、これからの人生を左右するのが テスさんの急逝です。
2023年8月、彼の内縁の妻・テスさんが53歳という若さで亡くなりました。
平山さんは「テスを日本に連れて行く」と約束していたものの、実現する前にその約束を果たせず、強い後悔を抱えています。
加えて、彼自身は 、冠動脈血栓症で倒れたということもあり、高齢・体力の衰え・健康不安に直面しています。
その中で彼は悩み葛藤した末に、日本への帰国を断念する決断を下しました。
強制送還のリスク、フィリピンに残す子やテスさんの墓、そして彼の年齢。
これらを総合したうえで選んだ「帰らない人生」。
私としては、この判断には 深い覚悟があると感じます。
愛した人を失い、体も限界に近づいている中でも、彼は自分の人生を最後まで自分の選択で締めくくろうとしている。
これはある意味、最も誠実な幕引きなのではないでしょうか。
まとめ
歩んできた道
平山敏春さんの人生は、波乱と再出発の連続でした。
日本での家庭不和やギャンブルによる破綻、そしてフィリピン渡航後の非正規滞在や経済的困窮。
しかし、その一方で、フィリピンでの内縁の妻・テスさんとの出会いや子どもたちとの生活、そして困難な状況でも家族との絆を大切にする日々もありました。
個人的な感想ですが、彼の人生は失敗と挫折がただの“転機”に変わる瞬間の連続であり、どんな状況でも前に進もうとするタフさとユーモアのセンスに溢れています。
これは、読者にとっても勇気を与える物語だと思います。
現在地と今後
2023年8月、テスさんの死去を経て、平山さんは日本への帰国を断念しました。
高齢や健康リスク、フィリピンに残る家族のことも考慮した上での決断です。
現在、彼はフィリピンで、限られた収入ながらも子どもたちとの生活を続けています。
私見ですが、平山さんの今後は、決して華やかではなくても、自分の選択で生きる自由と責任に満ちた日々であると思います。
人生の締めくくりに、誰の目も気にせず、自分の価値観に従って歩む勇気は、非常に印象的です。
参考文献:『https://www.fnn.jp/articles/-/791708?display=full』『https://news.yahoo.co.jp/articles/44c6e4cf53dcab4308eb57e292741e665c7f2af3?page=1』

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