「上を向いて歩こう」の大ヒットで知られる昭和のスター・坂本九さんと、清楚な美しさで人気を博した女優・柏木由紀子さん。
そんな二人が夫婦だったことをご存じでしょうか?
本記事では、柏木由紀子さんと坂本九さんの結婚までの馴れ初めや、意外と知られていない年齢差、そしてふたりの愛に満ちた結婚生活のエピソードまで、丁寧に解説していきます。
この記事を読めば、二人の人柄や関係性がより深く理解できるだけでなく、年齢差を乗り越えた愛のカタチに、きっと心が温まるはずです。
ぜひ最後までご覧いただき、昭和の名カップルの物語に触れてみてください。
昨年末に放送してた1971年紅白、
坂本九さんは結婚の年で、
柏木さんも来て、
白組の皆さん総出でにぎやかなステージ、
曲もなんか明るくていい曲だった#この世のある限り#プラチナファミリー
【坂本九SP】徹子が語る
『家族と悲しみ乗り越えた40年の深い絆』
坂本九が亡くなってちょうど40年 pic.twitter.com/51Ka49vBqE— 潮路(ママリンゴ) (@grapefish385) August 12, 2025
柏木由紀子と坂本九の関係とは?
昭和から平成、そして令和へと時代を超えて愛される不朽の名曲「上を向いて歩こう」の歌い手、坂本九さん。
そして、その妻であり、現在もエレガントなライフスタイルで注目を集める女優、柏木由紀子さん。
このお二人のロマンスは、まるで古き良き時代のハリウッド映画のような輝きを放っています。
特に、九さんの突然の悲劇的な死後も、その遺志と家族の絆を守り続けた柏木さんの姿は、日本における「理想の夫婦愛」の象徴とも言えるでしょう。
柏木由紀子の基本プロフィール
女優として活動されている柏木由紀子さんは、1947年12月24日、クリスマスイブにお生まれになりました。
まさに「永遠のクリスマスイブ生まれ」という華やかなオーラをまとった女性です。
彼女のキャリアの原点は、若くして入団した劇団若草にあります。
ここで演技の基礎を培い、後に映画デビュー、歌手デビューを果たしました。
この経験で培われた品格とステージ上での華やかさは、女優・タレントとして活躍する上での大きな武器となり、九さんという”国民的スター”の妻として、完璧なバランスをもたらしました。
現在は、娘さんやお孫さんとの「オシャレすぎる母・祖母」としてのライフスタイルが、幅広い世代から注目されています。
多くの人が「理想のシニアライフ」として憧れる、“時を優雅に乗りこなす達人”だと、感銘を受けています。
『宝塚へ』#アメブロ
https://t.co/SHPjrVT3OZ— 柏木由紀子公式 (@yukikokashiwagi) January 11, 2025
坂本九の基本プロフィール
坂本九さんは、1941年12月10日生まれ。
歌手としてはもちろん、俳優やタレントとしても活躍した、日本を代表する戦後最大のエンターテイナーです。
九さんの最大の功績といえば、ご存知「上を向いて歩こう」です。
この曲は、「Sukiyaki」というタイトルで米ビルボードチャートの1位を獲得しました。
これは日本人歌手として唯一の快挙であり、九さんはもはや“日本の音楽界のレジェンド”ではなく、”世界の音楽史に名を刻んだ偉人”なのです。
その人物像は、とにかく明るく親しみやすい笑顔が印象的でした。
戦後の日本が困難な時代を乗り越える中で、彼の屈託のない笑顔と歌声は、国民にとって「光と希望」を届け続けた”国民の心のビタミン剤”のような存在でした。
ふたりの出会いと接点
スターとスターのロマンスは、柏木さんがドラマ撮影をしていた時のことでした。
国際放映という撮影所でドラマを柏木さんが撮っている時に、別のドラマで仕事に来ていた坂本さんが一目惚れしたようですね。
当時、九さんはすでに世界的なスターでしたが、柏木さんは劇団若草出身の若手女優でした。
立場の違いはありましたが、柏木さんは、九さんの持つ無邪気なまでの明るさと、誰に対しても誠実な人柄に強く惹かれていきました。
そして、坂本九さんの猛アプローチで1971年12月8日、お二人は結婚。
この「スターと女優のロマンス」は、当時”日本中が祝福した世紀のビッグカップル誕生”として大きな話題となりました。
この結婚は、まさに「太陽のような九さん」と、その光を優しく受け止め、家庭を支える「月のような柏木さん」の巡り合わせだったと言えます。
九さんの無邪気な明るさと、柏木さんの芯の強さとエレガンスが融合し、その後の芸能界に一つの理想的な家族像を築き上げました。
九さんの名曲が今も愛され続けているのは、柏木さんが守り抜いた”深い魂の結びつき”の証だと、感じています。
「日航機123便墜落事故」から40年、坂本九の妻・柏木由紀子が「情報7daysニュースキャスター」で思い語るhttps://t.co/CreBxGiiAA#坂本九 #柏木由紀子
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) August 2, 2025
結婚の馴れ初めを徹底解説
国民的スターと、若き日の可憐な女優。この世紀のカップルがどのようにして結ばれたのかは、多くの人が興味を持つロマンチックな話題です。
特に、坂本九さんの太陽のような猛アタックと、それに優しく応えた柏木由紀子さんの様子は、昭和の純愛物語の理想形と言えるでしょう。
出会ったきっかけは?共演や紹介など
お二人の出会いは、国際放映という撮影所でドラマを柏木さんが撮っている時でした。
別のドラマで仕事に来ていた坂本さんが一目惚れしたのです。
お昼休みに喫茶店で会い、坂本九さんが台本を破って電話番号を書きそれを柏木さんに渡したというエピソードがあります。
スターとしての地位にあぐらをかくことなく、まるで少年のように猛烈なアプローチを仕掛けたと言われています。
柏木さんは1年くらいそれを放置したそうです。大スターを1年も待たせるとはすごいことですよね。
その後、柏木さんの方が、1年後に大阪で仕事に行った時、たまたま坂本九さんが劇場に出ており、陣中見舞いに行き再開して、後に交際がスタートしたそうです。
「世界のSUKIYAKI」を歌い上げたスターが、愛する女性の前では一人の男性に戻り、真っ直ぐに想いを伝える。
このエピソードを聞くと、九さんの底抜けの明るさと、飾らない誠実さがそのまま恋愛にも反映されていたのだと感じます。
現代の恋愛戦略とは真逆の、「直球勝負の魅力」が詰まっていますね!
参照:『https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108110000501.html』より
交際期間とプロポーズのエピソード
交際期間の詳細な記録は少ないものの、九さんの熱烈なアプローチにより、二人は真剣な交際へと発展します。
そして、九さんからのプロポーズについて柏木さんは次のように話しています。
司会者に「改めてプロポーズの言葉とか、あったんですか?」と聞かれると、
柏木さんは「まぁ、何かあったと思うんですが」と話した。
■『https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108110000501.html』より引用
具体的なプロポーズの言葉としては、曖昧だったようですね。
もし私がプロポーズのシミュレーションをするなら、「リスク分散」「資産状況の開示」など堅い項目が並びますが、九さんのプロポーズはきっと、曖昧ながらも、柏木さんに伝わる愛の言葉があったのかもしれませんね。
ちなみに、お二人は1971年12月8日にご結婚されています。
結婚当時の世間の反応や報道
1971年12月の結婚は、当時の芸能界と世間にとって特大のニュースでした。
坂本九さんは、戦後の日本に夢と希望を与えた国民的歌手であり、その結婚は多くのファンにとって「国民的な慶事」として受け止められました。
メディアは連日、「世紀のビッグカップル誕生」として大々的に報道。
・世間の反応: 祝福ムード一色でした。九さんの明るいイメージと、柏木さんの清純でエレガントなイメージが相まって、「理想的な夫婦像」として国民の期待を集めました。
・報道の焦点: 単なる熱愛報道に留まらず、九さんが結婚後も変わらず活躍することへの期待、そして柏木さんが九さんの活動をどう支えていくのか、という点に注目が集まりました。
当時の芸能報道は、今と違ってどこか牧歌的で温かい空気に包まれていたようです。
このお二人の結婚は、多くの人にとって「自分のことのように嬉しい出来事」だったことでしょう。
後の不幸な出来事を考えると胸が締め付けられますが、お二人が築いた幸せな家庭の姿は、間違いなく日本の多くの人々の記憶に刻まれています。
年齢差はどれくらい?世代の違いを乗り越えた愛
坂本九さんと柏木由紀子さんの結婚は、当時の芸能界において「ビッグカップル」としてだけでなく、「年の差カップル」としても注目を集めました。
しかし、二人の間で年齢差が壁になったという話はほとんど聞かれません。
なぜなら、九さんが持っていた「年齢を超越した無邪気さ」と、柏木さんが持つ「大人びた芯の強さ」が、見事な化学反応を起こしたからです。
二人の年齢差と当時の常識
お二人の年齢差は、6歳です。
・坂本九さん: 1941年12月生まれ
・柏木由紀子さん: 1947年12月生まれ
結婚当時(1971年12月)は、九さんが30歳、柏木さんが24歳でした。
正直なところ、「あれ?意外と年齢差、少ない!」というのが率直な感想です。
(当時の)坂本九さんがすでに世界的な大スターであり、柏木さんが若手女優というキャリアの差が大きかったため、世間的にはもっと年齢が離れているイメージがあったかもしれません。
当時の常識から見ても、6歳の年の差は全く問題視されるレベルではなく、むしろ当時の二人の「社会的な地位の差」こそが、注目を集める最大の要因だったと言えるでしょう。
年齢差に対する本人たちのコメント
二人の間に年齢差によるギャップがあったという話はあまり残されていません。
これは、坂本九さんの持つ特別なキャラクターが関係していると推測できます。
九さんは、その歌声や笑顔からもわかるように、いくつになっても「永遠の少年」のような無邪気さと好奇心を持っていました。
対する柏木さんは、若くして芸能界に入り、宝塚という規律の厳しい世界も経験しているため、非常に落ち着きがあり、物事の本質を見抜く大人びた感性を持っていました。
・九さんの視点(推測): 彼の辞書に「年の差」という概念はなく、「ただ好きな人がそこにいる」という純粋さで、柏木さんの心を射止めたのでしょう。
・柏木さんの視点: 柏木さんは九さんの底抜けの明るさや、人を愛する深さに魅力を感じており、年齢は問題ではなかったようです。
結婚生活で感じたギャップや工夫
二人の結婚生活で語られるエピソードは、年齢差からくるギャップというよりも、「天才スターの日常」と「堅実な妻」の間の微笑ましいギャップが中心です。
・夫からの愛情表現のギャップ(工夫の成果): 九さんは、結婚後も毎日のように柏木さんの洋服や髪型の「良いところ」をメモに残して褒めてくれたそうです。これは、多忙な九さんが家庭との時間を大切にするために生み出した、「愛情の見える化」という工夫であり、柏木さんへの深い愛情を示すものです。
・役割分担のギャップ: 柏木さんがクイズ番組出演時の九さんの衣装をコーディネートするなど、公私ともに九さんをサポートする良きパートナーとしての役割を果たしていました。
この二人の愛の形は、年齢やキャリアの差を埋めるために特別な努力をするというよりも、「お互いの持つ個性をそのまま愛し、足りない部分を補い合った」ところに本質があったと感じます。
九さんのユーモアと、柏木さんの知性とエレガンスが作り上げた家庭は、まさに「理想のバスケット(籠)」のように、いつも温かい光に包まれていたことでしょう。
日航ジャンボ機墜落事故から40年ですね。
亡くなられた520名の方のご冥福を改めてお祈りします。坂本九さんと柏木由紀子さん。新婚当時、パリにて。 pic.twitter.com/zifL0aPQwj
— みりん💐🌹🌸 (@mirinrurururose) August 12, 2025
現在の柏木由紀子|夫との思い出と今の活動
1985年8月12日、日本航空機墜落事故により、夫である坂本九さんは突然この世を去りました。
この悲劇は、柏木由紀子さんの人生を大きく変えましたが、彼女は悲しみを乗り越え、九さんの愛した「歌」と「笑顔」を守り続けています。
現在の柏木さんの活動や、その強さの源泉となっている夫婦の絆を掘り下げます。
坂本九の死後の活動や心境の変化
九さんの死後、柏木さんは残された幼い娘たちを守るため、そして家族の生活を支えるため、女優業やタレント活動を再開・継続しました。
当初、彼女の心境は当然ながら深い悲しみに包まれていました。
長らく黒い服ばかり着ていた時期があったとも語られています。
しかし、九さんの生前の明るさや、彼が世に残した「上を向いて歩こう」のメッセージに背中を押される形で、徐々に前向きな姿勢を取り戻していきます。
この時期の柏木さんは、まさに「上を向いて歩こう」を最も体現した人だったと言えるでしょう。
悲しみに沈むのではなく、「夫の分まで、人生を楽しんで生きる」という強い決意に、心を打たれます。
最近の彼女は、自身のファッションやライフスタイルをSNSで発信し、シニア世代のファッションリーダーとしても注目されていますが、これも全ては九さんが生前残してくれた「愛情のメモ」と、「笑顔で生きる」というメッセージを受け継いでいるからだと感じます。

出典元:Instagramより
娘たちとの関係やメディア出演
柏木さんは、二人の娘、長女の大島花子さん(歌手・シンガーソングライター)と、次女の舞坂ゆき子さん(女優・元宝塚歌劇団)と共に、坂本九さんの音楽と精神を伝える活動を続けています。
・家族での音楽活動: 三人は「ママエセフィーユ(母と娘たち)」というユニットで、九さんの曲や、九さんが家族のために作った未発表曲などを歌い継いでいます。これは、「父の歌声」を「母と娘たちのハーモニー」に変えて、時代を超えて響かせている、非常に感動的な活動です。
・メディア出演: 家族全員で九さんの命日に墓参りに出かける様子や、テレビ番組で当時のエピソードを語る姿は、見る人に深い感動と温かい気持ちを与えます。
娘さんたちとの活動は、単なる追悼ではなく、九さんの「生きた証」を未来へつなぐ、最高の家族プロジェクトです。
九さんが亡くなったとき、娘さんたちはまだ幼かったですが、今、彼女たちが父の歌を歌い、母を支えている姿を見ると、「家族とは、愛のバトンだ」という普遍的な真理を思い知らされますね。
今も語り継がれる夫婦の絆
坂本九さんがこの世を去って40年近くが経ちますが、柏木由紀子さんと九さんの夫婦の絆は、衰えるどころか、ますます伝説となっています。
その絆の強さを示すのが、九さんが柏木さんの良いところを書き残していたという「愛情のメモ」のエピソードです。
これは、単に妻を褒めるだけでなく、「君の良いところを忘れないよ」という、夫婦の時間を大切にする九さんの想いが結晶化したものです。
柏木さんは、今も九さんを「主人」と呼び、その存在を常に感じながら生活しています。
坂本九さんの死は悲劇でしたが、その後の柏木さんの生き方と家族の絆は、多くの日本人に「真の愛とは何か」を教えてくれました。
九さんの歌のように、悲しいときこそ「上を向いて歩く」という強さと、愛する人の存在を生きる力に変えるエレガンス。
柏木由紀子さんは、私たちにとって永遠の”希望のメッセンジャー”であり続けているのです。
まとめ|年齢差を超えた愛と絆が教えてくれること
さて、坂本九さんと柏木由紀子さん夫妻の物語を振り返りました。
お二人の愛は、たった6歳という年齢差ではなく、「国民的スターとしてのキャリアの壁」と、「突然の悲劇的な別れ」という、人生における真の試練を乗り越えてきたことに、その真価があります。
結論:二人の愛が乗り越えた「真の壁」とは?
お二人の愛の真髄は、九さんの底抜けの明るさと、柏木さんの揺るぎない芯の強さが、互いを尊重し合った点にあります。
九さんが毎日妻を褒めるメモを残したように、二人は愛情を「心で感じるだけでなく、言葉と行動で伝える」ことを実践していました。
九さん夫婦の絆が現代に伝える教訓
この夫婦の絆が、現代を生きる私たちに教えてくれる教訓はシンプルです。
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愛情は「言語化」すること。(九さんのメモのように)
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人生には「笑い」と「無邪気さ」が不可欠であること。
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悲しみに沈まず、「愛する人の分まで人生を謳歌する」強さを持つこと。
柏木由紀子さんが今も九さんの歌と家族を守り続けている姿は、愛とは、「時間や別れを超えて、生きる力となり続けるもの」であることを証明しています。
お二人の物語は、永遠に輝く「愛のレジェンド」として、これからも多くの人々の心に希望を与え続けるでしょう。
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