マーサ三宅と大橋巨泉の離婚理由|再婚相手は三宅純一?

歌手をイメージしたイラスト

マーサ三宅さんはジャズ歌手として長年活躍し、指導者としても多くの人に影響を与えました。

そんな彼女は、かつて大橋巨泉さんと結婚しましたが、1964年に離婚。

さらに再婚相手として三宅純一さんの名前も報じられています。

本記事では、離婚の経緯や再婚の真相、そして晩年までの功績をわかりやすく解説します。

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目次

マーサ三宅とは?経歴と活躍

マーサ三宅

出典元:facebookより

マーサ三宅さんは、日本ジャズ界のレジェンドとして知られる存在です。

生涯にわたって歌声で多くの人を魅了し、指導者としても後進の育成に力を注ぎました。

ジャズという「自由な即興の世界」で、彼女の人生はまさに即興劇のように波乱万丈。

しかし、そのどこか芯の通ったキャリアは、音楽業界だけでなく、私たちに「挑戦し続けることの大切さ」を教えてくれます。

ジャズ歌手としてのキャリア

マーサ三宅さんは旧満州出身で、日本音楽学校卒業後、米軍基地で歌い始めました。

本人はこのことについて、

「生活していくために苦しまぎれに歌手になった」

■ウィキペディアより引用

と語っています。

ジャズ・クラリネット奏者のレイモンド・コンデのバンドで専属歌手となって有名になります。

1955年にレコードデビューし、日本の女性ジャズ歌手の第一人者として、海外の著名人と共演を果たすなど、第一線で活躍し続けました。

2000年には紫綬褒章を,2006年には旭日小綬章を受章しています。

すごいキャリアですね!!

ジャズを愛し、ずっと歌い続け、活躍し続けることは本当に難しいことですが、マーサ三宅さんは日本随一のジャズヴォーカリストであり、彼女の歌は卓越したヴォーカルワークを感じることができます。

ヴォーカル指導者としての活動

1972年には、東京中野に音楽教室スタジオ「マーサ三宅ヴォーカルハウス」を設立し、後進の指導にも力を尽くしました。

大橋純子さんや今陽子といった人気歌手や,三槻直子,金丸正城など多くのジャズ・シンガーを輩出しており、2018年まで指導を続けました。

私の個人的な感想ですが、指導者としての彼女の存在は、まさに「ジャズ界の頼れるおばあちゃん」的な温かさがありました。

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マーサ三宅と大橋巨泉の結婚と離婚

出会いと結婚の経緯

1956年、マーサ三宅さんは当時ジャズ評論家だった大橋巨泉と結婚します。

2人の出会いはジャズを通したものでした。

マーサ三宅さんがデビューした頃、大橋巨泉さんは、早稲田大学在学でジャズ評論を発表していました。

巨泉さんはマーサさんの才能に惚れ、マーサさんを訪ねてレコードや譜面を渡したりと、勝手に先生のような存在となっていました。

1歳年下であった巨泉さんは、マーサ三宅さんに結婚を迫りますが、マーサさんは断っています。

しかし、押しに負けてか、1956年2人は結婚に至り、2人の女の子を授かりました。

参照元:https://www.dailyshincho.jp/article/2025/05291055/?all=1&page=2

離婚理由は何だったのか?

二人の結婚は1966年に終止符を打ちます。

マーサ三宅さんが大スターになると、大橋巨泉さんは『そろそろ仕事を辞めてもいいよ』と言い始めたそうです。

そして巨泉さんも、ジャズ評論家から、タレントとしてラジオやテレビの仕事が急増します。

夫婦のベースにあったジャズから、巨泉さんが離れたことで、徐々に2人の間に溝ができていきます。

1964年、巨泉さんが家を出て別居生活をした後、離婚にいたります。

マーサ三宅さんは、家を出た夫を引き留めなかったそうです。

後に娘の大橋美加さんが、離婚の原因を次のように語っています。

離婚の原因は、父の浮気です。母は最後まで父を許しませんでした。

■https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20170912-OYTET50011/より引用

離婚の決定的な原因は、巨泉さんの浮気だったようですね。

ジャズのように自由奔放なマーサさんの生活スタイルと、テレビ司会者としての巨泉さんの多忙なスケジュールの間に生じたすれ違いが大きかったこともあり、併せて巨泉さんの浮気によって2人の関係が終わりました。

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マーサ三宅の再婚相手は三宅純一?

再婚の噂と信頼できる情報

さて、マーサ三宅さんに“再婚相手”として名前が挙がっているのが、名前だけ聞くとまるでジャズのタイトルのように響く 三宅純一 さんです。

信頼できる報道によれば、マーサさんの葬儀で【喪主=夫・純一さん】という記載があったことが確認されています。

ただし、マーサ三宅さんは再婚を公表した記録などは見つかりませんでした。

マーサさんの葬儀で喪主を務めているので、夫は三宅純一さんという方で間違いないでしょうね。

巨泉さんと離婚した後、純一さんと出会い、再婚されたんでしょうね。

 私見ですが、ジャズ界のレジェンドにとって、プライベートな結びつきも“音楽のセッション”的に柔軟だったのかもしれません。

婚姻というフォーマルな枠組みよりも、信頼・伴侶としての役割が重視されたのではという印象を持ちます。

マーサ三宅の晩年と功績

晩年の生活

マーサ三宅さんはの晩年は、2013年頃にバランスを崩し転倒し、腰椎圧迫骨折をします。

それまでは元気に生活していましたが、歩くことが困難になり、リハビリの毎日でした。

骨折したマーサさんを長女・大橋美加さんが看病しました。

美加さんに支えられながら、時にはマイクを持ち歌うことで元気を保っていたようで。

2016年には、大橋美加さんのアルバム『HOME』では、マーサさんがゲストとして出演し、ディスク上で親子初共演を果たしました。

晩年は長女の大橋美加さんに介護されながら生活を送っており、娘とのしあわせな関係性が伺えます。

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2025年の逝去とその後

マーサ三宅さんは、2025年5月14日、92歳で老衰のため逝去されました。

そのニュースはジャズ界だけでなく多くのメディアで報じられ、「日本の女性ジャズ・ボーカルの第一人者がまたひとり舞台を降りた」として惜しまれました。

私見ですが、92年という時間の中で“歌い・教え・人生をつなぐ”という彼女の歩みは、まさに「長いリハーサルの末に訪れた満場の拍手」とも言える光景だったのではないでしょうか。

喪主として名前が挙がったのは前段でも記述しておりますが夫・三宅純一さん」です。

逝去後も、彼女が開いたスクールの卒業生たちが歌い続けている事実は、彼女の影響が“音の余韻”として今なお響いていることを示しています。

まとめ:マーサ三宅の人生と愛の軌跡

結婚・離婚・再婚から見える人物像

マーサ三宅さんの人生を振り返ると、まるで一曲の長いジャズ・バラードのようです。

大橋巨泉さんとの結婚と離婚、そして晩年に寄り添った三宅純一さんとの絆。

そのどれもが即興のようでいて、彼女なりの美しいメロディを奏でていました。

人生の節目節目で「愛」と「自由」をどうバランスさせるか、その答えを彼女は“音”で表現していたのかもしれません。

個人的には、マーサさんの生き方には「決めすぎない強さ」と「流れに身をまかせる知恵」が感じられます。

まさにジャズの真髄ですね。

彼女の歩みは、恋もキャリアも「完璧に譜面通り」ではなかったけれど、だからこそ味わい深い。

92年の人生で奏でられた音楽と愛のハーモニーは、今も多くの人の心に残っています。

“人生はリハーサルなしの本番”という言葉がぴったりの、唯一無二のアーティストでした。

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