日本映画界の巨匠・篠田正浩さんと、凛とした美しさで知られる名女優・岩下志麻さん。
映画を通じて出会った2人は、公私ともに支え合いながら“理想の夫婦”と呼ばれる存在となりました。
そんな2人の馴れ初めや結婚生活、そしてあまり知られていない「娘の職業」にも注目が集まっています。
この記事では、篠田正浩さんと岩下志麻さんの出会いから結婚までの物語、 さらに娘さんに関する最新情報や“医者”という噂の真相を分かりやすくまとめます。
長年日本映画を支えてきた2人の愛と家族の軌跡を、一緒にたどってみましょう。

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篠田正浩とは?プロフィールと経歴
基本プロフィール
まずは篠田正浩さんの基本情報を整理してみましょう。 映画監督としてだけでなく、文化人としても大きな足跡を残した方です。
・生年月日:1931年3月9日
・出身地:岐阜県岐阜市
・学歴:早稲田大学第二文学部卒業
・所属:松竹撮影所(1953年入社)
・監督デビュー:1960年『恋の片道切符』
・代表作:『心中天網島』『瀬戸内少年野球団』『少年時代』など
・逝去:2025年3月25日(享年94)肺炎のため
学生時代は陸上競技の選手として箱根駅伝にも出場したスポーツマンで、その後は映画界の第一線へ。
まるで「トラックからフィルムへ、舞台を変えても走り続けた男」といったところでしょうか。
個人的には、この“走る監督”というイメージが篠田さんの生涯を象徴しているように思います。
ひとつの道にとどまらず、常に挑戦を続けた姿勢は、今の時代にも通じる普遍的なエネルギーを感じさせます。
映画監督としての経歴
篠田さんは1960年代、「松竹ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」の旗手の一人として脚光を浴びました。
初期の『乾いた湖』(1960年)や『心中天網島』(1969年)では、当時の日本映画には珍しい芸術性とスタイリッシュな映像表現を追求。
その一方で、『瀬戸内少年野球団』(1984年)や『少年時代』(1990年)など、郷愁をテーマにした作品でも高い評価を得ています。
2003年の『スパイ・ゾルゲ』を最後に監督業を引退しましたが、 その後も講演やエッセイで映画文化の発展に尽力。
引退の理由について、篠田監督は次のように語っています。
「私が撮るべき映画の主題は、すべて撮った」と思ったからです。
■https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20190207-OYT8T50087/より引用
私の印象では、篠田監督は“映画という人生の航海者”のような人。
作品ごとに新しい海原を目指し、波に飲まれることなく自分の羅針盤を信じて進み続けた、そんな誇り高い職人でした。
観る度に驚かされるのは篠田正浩監督作品。
「瀬戸内少年野球団」も「スパイ・ゾルゲ」も同じ人が撮ったのか… pic.twitter.com/ycVw2Fa5oX— ハマのサツ回り(PC版) (@laughing_1954) September 6, 2025
妻・岩下志麻との馴れ初め
出会いのきっかけ
映画監督である 篠田正浩 さんと、名女優 岩下志麻 さんの出会いは、岩下さんがまだ19歳の時だったそうです。
それは映画『乾いた湖』の主演の面接でした。
その後、1964年公開の篠田監督作品『暗殺』の京都ロケ現場で二人は顔を合わせ、その打ち上げでナイトクラブに繰り出し、マンボを踊った瞬間、岩下志麻さんが「この人と結婚するような気がします」と直感したというエピソードも。
ただ、この時まだ恋愛感情や結婚願望は岩下志麻さんの方にはなかったそうです。
そのあたり、映画の“予告編”みたいなワクワク感が漂っていたのでしょう。
私見ですが、互いに「映画という魔物」(篠田監督の言葉)に取り憑かれていたからこそ、共鳴し合ったというべき関係だったのかもしれません。
結婚の経緯と夫婦仲

出典元:https://fujinkoron.jp/articles/-/19422?page=2
交際のきっかけは、仕事でヨーロッパに行っていた篠田さんから岩下さんに手紙を送ったり、お土産にハンドバックをプレセントしたりしたことがきっかけでした。
篠田正浩さんと岩下志麻さんは、1966年3月3日、ひな祭りの日に結婚しました。
篠田さんは2度目の結婚となりました。
結婚後、2人は監督と女優という“スクリーンの内外”両方でタッグを組んで歩んできたことで知られています。
さらに同年、「表現社」を設立して映画制作でも共同歩調を取るなど、まさに“人生と仕事を一本に繋いだ”夫婦だったといえます。
篠田正浩さんは、女優と家庭の両立で悩んだ際も、岩下志麻さんを「女優をしている時の君が一番イキイキしている」と励ましたそうです。
こういったエピソードから、2人の間には、思いやりが生活の中に常にあったように感じます。
そして映画を作るという冒険においては、主演女優と監督という枠を超え、「二人で魔物退治をやってきた」 と岩下さんが語ったように、まさに映画人生を共に戦った同志だったのでしょう。
おしどり夫婦という言葉が軽く感じられるほど、濃密でリアルなパートナーシップだったと思います。
参照元:https://fujinkoron.jp/articles/-/12687?page=4
娘は医者?気になる職業を調査
篠田正浩さんと岩下志麻さんの間には、1973年に長女が誕生しました。
その娘さんの職業について、医者なのでは?という噂が飛び交っています。
娘は医者?の真相
まず先に結論から言いますと、岩下志麻さんと篠田正浩監督夫妻の娘さんが「医者である」という確かな公的証拠は確認できません。
岩下志麻さんのインタビューで、娘さんについて
大学卒業後、「両親とは違う世界で生きたい」と一般企業に就職して早々に家を出た
■https://jisin.jp/entertainment/interview/1902025/より引用
と話しているので「医者?」という可能性は低いといっていいでしょう。
私見ですが、芸能界で著名な夫妻の娘となると「医者」という肩書きがつきやすいというのも、人々の“伝説補強フィルター”が働いてしまう一例かもしれません。
娘の実際の職業
では、娘さんは実際どんなキャリアを歩んでいるのでしょうか。
情報によれば、岩下さんの長女は慶應義塾大学を卒業し、その後大手企業に就職したという記述があります。
例えば、「広告代理店・電通勤務」とのネット上の記述もありますが、公式に「電通勤務」あるいは「○○部所属」という確認が取れたわけではありません。
噂レベルの情報となります。
私の印象ですが、こうした「職業非公開」「一般企業勤務」という形は、両親が芸能界という公開世界にいた分、娘さんが“静かに自分の道を歩む”という選択をしたのではないかなと思います。
医者というわかりやすい肩書きではなく、「落ち着いたキャリア」を選んだこと自体が、“芸能人の子”としてのプレッシャーから離れたいという意志の表れにも見えます。
まとめ:篠田正浩と岩下志麻、家族の絆と現在
篠田正浩監督と岩下志麻さん夫妻の歩みを振り返ると、まるで一本の長編映画を観たような気持ちになります。
出会いは映画の現場でしたが、岩下さんの『篠田さんと結婚するかも』という直感により、結ばれた2人は運命だったのかもしれないですね。
お互いを尊重し合い、支え合いながら60年近くを共にしたお二人は、まさに「人生を共作した名コンビ」だったと言えるでしょう。
娘さんもまた、芸能界の光の外で自分らしい人生を歩んでおり、表に出ることは少ないものの、その静かな選択がかえって両親の生き方の延長に感じられます。
“脚光を浴びることより、自分の光を持つ”という生き方は、篠田夫妻が映画を通じて見せてきたテーマと重なりますね。
2025年3月25日に篠田正浩さんが94歳でこの世を去り、岩下志麻さんは今も静かに日々を送られています。
しかし、彼の残した映画の数々、そして夫婦が共に築いた美意識は、スクリーンの中でも、私たちの記憶の中でも今なお生き続けています。
映画のようにドラマチックでありながら、現実の愛情を真摯に貫いたその人生に、改めて深い敬意を抱かずにはいられません。
それぞれの美学を持ちつつも、最後まで同じ方向を見ていた。
そんなお二人の姿が、日本映画界に残した最大の名シーンなのかもしれません。

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