国民的ガールズバンド、SHISHAMOが活動終了を発表し、多くのファンに衝撃が走りました。
その代表曲であり、人生の応援歌として愛されてきた『明日も』を今、改めて聴き直している方も多いのではないでしょうか。
この曲を聴いて「泣ける」「何度も助けられた」という人はたくさんいますが、実は作詞・作曲を担当した宮崎朝子さん自身も、この大ヒットの裏側で複雑な葛藤を抱えていたエピソードがあります。
本記事では、『明日も』誕生のきっかけとなった「ヒーロー」の正体から、宮崎さんがインタビューで語ったクリエイターとしての苦悩までを深掘りします。
なぜこの曲がこれほどまでに心を打つのか?その本当の理由を知れば、あなたの『明日も』への思い入れはさらに深まるはずです。

【活動終了】SHISHAMOの『明日も』が今、改めて心を打つ理由
国民的ヒット曲「明日も」とバンドの歴史的節目
突如発表されたSHISHAMOの活動終了のニュース。
ファンとしては青天の霹靂でしたが、誰もがまず思い浮かべるのは、やはり代表曲の1つ『明日も』でしょう。
「月火水木金 働いた」という、まるで我々のサザエさん症候群を代弁するような冒頭から、週末のヒーローに会うために頑張る姿を描いたこの曲。
NTTドコモのCMソングとしてお茶の間に流れ、第68回紅白歌合戦での堂々たるパフォーマンスは、SHISHAMOの歴史における「大勝利」の記念碑です。
活動終了というバンドの大きな節目に際し、改めて『明日も』を聴くと、いつも以上にグッとくるものがあります。
なぜなら、この曲にはバンドの成功の光だけでなく、ボーカルの宮崎朝子さんが当時抱えていた密かな葛藤という「影」も含まれているからです。
筆者の意見としては、応援ソングの「ド真ん中」を射抜いたこの曲こそ、SHISHAMOがただのガールズバンドではない、『時代を捉える表現者』であったことの証明だと感じています。
そして、その裏にあった人間的なエピソードを知ることで、『明日も』は単なる応援歌から、「泣ける」ほどリアルなドキュメンタリーへと変貌します。
なぜ多くの人が『明日も』を聴いて「泣ける」のか?
直球で胸に響く歌詞
『明日も』が多くの人を泣かせてしまう最大の理由、それは宮崎朝子さんの歌詞が、飾らない「弱さ」と「本音」から始まっているからです。
普通の応援ソングなら、「頑張れ!」「大丈夫!」と最初からハイテンションで背中を押してくるものですが、『明日も』は違います。
いきなり
「いいことばかりじゃないからさ 痛くて泣きたい時もある」
■SHISHAMO「明日も」作詞・作曲:宮崎朝子より引用
と、私たちが日々感じている鬱屈とした感情を、代弁者のように歌い上げてくれます。
この一文に、もうグッと来てしまうんですよね。
まるで「無理しなくていいよ、知ってるよ」と言われているようで、筆者もいつもここで一度、フッと肩の力が抜けます。
綺麗事ではない、この「諦めから入る優しさ」こそが、大人の聴き手に刺さるポイントだと確信しています。
日常の苦悩を代弁する言葉
そして、この曲の「泣き」のボルテージを最高潮に上げるのが、週末を待つ主人公が発する核心的なフレーズです。
「ダメだ もうダメだ 立ち上がれない そんな自分変えたくて 今日も行く」
■SHISHAMO「明日も」作詞・作曲:宮崎朝子より引用
これは、社会人でも学生でも、誰もが経験する「どうしようもない無力感」の言語化です。
ここでユーモアを交えるなら、月曜の朝、布団の中で「ダメだ…」と戦う我々の姿を、そのまま歌にしてくれていますよね(笑)。
ただ、この「ダメだ」の後に続く、それでも「変えたくて今日も行く」という小さな決意が、自己嫌悪に陥りがちな私たちを、力強く肯定してくれます。
自分の弱さを認め、それでも進む「あなた」の姿が、涙腺を緩ませるのです。
曲調と歌詞のギャップが生むエモーショナルな瞬間
歌詞の内容が深くリアルである一方で、曲全体は明るくキャッチーなメロディと、SHISHAMOらしい軽快なロックサウンドで構成されています。
この「明るい曲調」と「内面の苦悩」のギャップこそが、聴き手の感情を強く揺さぶるエモーショナルな要素です。
暗い歌詞を暗い曲で歌うのは簡単ですが、『明日も』は明るいエネルギーで包み込むことで、「苦しいけど走った」という泥臭い努力を、輝かしいものとして昇華させています。
このコントラストがあるからこそ、サビの解放感がより際立ち、「報われるかわからないけど、とりあえず前に進もう」という前向きなメッセージが、涙腺の先にある「感動」へと繋がっていくのだと、筆者は分析します。
宮崎朝子がヒットの裏で抱えたエピソード:クリエイターの葛藤
【衝撃】「明日も」をSHISHAMOとして出すことに抵抗
あの大ヒット曲に、まさかそんな裏側があったとは—。
これは、筆者が『明日も』にまつわるエピソードで最も心を揺さぶられた事実です。
宮崎朝子さんは、後のインタビューで、実はこの曲をバンドとして世に出すことについて「疑問と抵抗が大きかった」と明かしています。
“明日も”は、アルバムが完成した時のインタヴューで話していたように、朝子ちゃんの中では、これをSHISHAMOとして出すのはどうなんだろう?っていう疑問と抵抗が大きかった曲じゃないですか。
「そうですね。曲自体は元々好きじゃなかったんですよ。どっちかっていうと嫌いくらいの感じで、アルバムにも入れたくないし、ライヴでも歌えるのかな、みたいな気分だったんですけど」
■http://musica-net.jp/articles/preview/6227/より引用
我々ファンからすれば、「最高のアンセムじゃん!」と思うかもしれませんが、創作者の視点は違います。
宮崎さんにとって、楽曲制作は自分自身が欲しい曲を作る行為であり、もしかしたら『明日も』は、当時の彼女が追求していたSHISHAMOの音楽性とは少し離れた場所にあったのかもしれません。
売れる曲と、自分が本当に表現したい曲との間に生じるこのクリエイターとしての葛藤は、想像を絶します。
しかし、この「抵抗」があったからこそ、彼女のフィルターを通して、どこにもない独創的な応援歌が生まれたのだと筆者は考えます。
「応援ソングのバンド」というイメージへの不安ともどかしさ
『明日も』はCMで流れ、紅白にも出場し、結果的にSHISHAMOを国民的バンドに押し上げました。
これは快挙ですが、その成功の裏で、宮崎さんはさらなる不安を抱えることになります。
インタビューで語られたのは、「明日も」があまりにも強烈な代表曲になったことで、世間から「SHISHAMO=応援ソングのバンド」というイメージで見られるようになったことへのもどかしさです。
デビュー以来、彼女たちは恋愛や日常の複雑な感情を、独特の感性で描き続けてきたバンド。
その多様な側面に目が向けられず、一曲のイメージで語られてしまうのは、表現者として当然の苦悩でしょう。
「応援ソング」というくくりは確かにキャッチーですが、バンドが持つ奥行きを覆い隠してしまうリスクもあります。
ヒットの絶頂期に、こうした『孤独な不安』を抱えていたという事実は、『明日も』が単なる明るい歌ではない、「泣ける」ほどリアルな人間ドラマを内包している証拠です。
見せたい「SHISHAMO」と世間が見る「SHISHAMO」のズレ
この葛藤の根源は、「自分たちが見せたいSHISHAMO」と「世間が受け取るSHISHAMO」の間に生じたズレです。
宮崎さんは「自分が見てほしいSHISHAMOの側面に目が向けられていなかった」という率直な思いを吐露しています。
多くの人に届く曲を作った喜びと、自分の核となる部分が伝わっていないかもしれないという焦燥感。この二律背反の感情は、大衆と芸術性の間で揺れ動くすべてのクリエイターに共通するテーマではないでしょうか。
筆者の意見では、この「ズレ」こそが、彼女たちをさらに成長させました。
ファンは、彼らの楽曲の多様性や、一見ポップに見える裏に隠された鋭い感性を理解することで、より深くSHISHAMOを愛するようになったのです。
この痛みを伴うヒットのエピソードを知ることは、私たちの心に『明日も』をさらに特別な曲として刻み込みます。
『明日も』誕生の原点となったエピソード
試合観戦で生まれた熱狂とインスピレーション
「週末は僕のヒーローに会いに行く」
■SHISHAMO「明日も」作詞・作曲:宮崎朝子より引用
このフレーズを初めて聴いた時、あなたは誰を思い浮かべましたか?
筆者は当初、好きなバンドや憧れのアーティストのライブを想像しました。
しかし、宮崎朝子さんが明かした『エピソード』は、我々の想像を遥かに超えた『地元の熱い物語』でした。
『明日も』誕生のきっかけは、SHISHAMOの地元である『川崎のサッカークラブ「川崎フロンターレ」の試合観戦』です。
宮崎さんはスタジアムで、選手たちの懸命なプレーと、それを熱狂的に支えるサポーターの姿に胸を打たれました。
つまり、この曲の「ヒーロー」は、華やかな有名人というだけでなく、泥臭くも勝利を目指して走るサッカー選手たちであり、彼らを支える熱いサポーターの集合体でもあったのです。
この「ローカルな熱」が、あんなにも普遍的な応援歌を生み出したという事実が、また一つの『泣けるポイント』だと筆者は感じています。
「ヒーロー」が教えてくれる走り方
なぜ、この「ヒーロー」に会うと、私たちはまた一週間頑張れるのでしょうか?
歌詞は言います。
「笑いもせずただ 見せてくれる走り方」そして「走り方はまた教えてくれる ヒーローに自分重ねて 明日も」と。
■SHISHAMO「明日も」作詞・作曲:宮崎朝子より引用
私たちが「ダメだ もうダメだ 立ち上がれない」と苦しんでいる時、ヒーローは特に何も語りかけてきません。
ただ、全力で走り、痛みや苦しさを乗り越えていく姿を見せてくれるだけ。
彼らのその姿こそが、最高のメッセージになるのです。
そして、この曲のミュージックビデオが、フロンターレのホームである等々力陸上競技場で撮影されたことは、このエピソードを決定づけます。
日常の小さな悩みを抱える主人公が、週末、あのスタジアムで「英雄たち」の姿を見て、また明日を走る力をチャージする—。
この循環する感動の物語を知ると、『明日も』はさらに深く、私たちの心に寄り添ってくれるはずです。
『明日も』が本当の応援歌になった瞬間
宮崎朝子が感じた感謝と変化
クリエイターとしての葛藤を抱えながらも『明日も』を発表し続けた宮崎朝子さんですが、その心境は時間とともに変化していきます。
転機となったのは、ライブ会場やSNSで、この曲に助けられ、泣いているたくさんのファンの姿を見たことです。
インタビューでも語られていますが、「みんなが生活して生きてる上で、こういう曲に助けられることがすごく多いんだろう」という気付きを得たことで、彼女自身の心に変化が生まれたのです。
「私たちがやってきたことと違う」というもどかしさは、いつしか「この曲がみんなの力になっている」という感謝と誇りへと変わっていきました。
筆者の意見では、この瞬間こそが『明日も』が真の国民的アンセムになった瞬間です。
作者の個人的な作品である以上に、聴き手の人生を映す鏡として機能し始めたのです。
自分の作った曲が、自分自身の意思とは関係なく、多くの人の人生を支えるヒーローになった—この事実は、本当に感動的なエピソードです。
作者の願いが聴き手に届くとき
サビのクライマックスで歌われるフレーズ、
「報われるかなんて 分からないけど とりあえずまだ 僕は折れない」
■SHISHAMO「明日も」作詞・作曲:宮崎朝子より引用
この泥臭いほどの決意は、宮崎さん自身の**クリエイターとしての葛藤も乗り越えた先にたどり着いた、正直なメッセージだと解釈できます。
「報われるかなんて分からない」という諦念と、「折れない」という鋼の意志。
このコントラストこそが、『明日も』を単なる脳天気な応援歌ではなく、人生の厳しさを知る大人のための0リアルな応援歌にしています。
ユーモアを交えるなら、「とりあえず」というのが最高に日本人らしいですよね。
完璧じゃなくていい、明日になってもう一度走れればそれでいい、と。
活動終了という一つの区切りを前に、この「とりあえずまだ僕は折れない」というフレーズは、私たちファンへの最後の、そして最も力強いエールのように響きます。
「あなたの明日も、きっと大丈夫だよ」と。
まとめ
SHISHAMOの『明日も』は、単なるヒット曲ではありません。
川崎フロンターレの熱狂にインスパイアされ、作者である宮崎朝子さんのクリエイターとしての苦悩を経て、最終的には全国のファンの涙と笑顔によって完成された、「光と影」の物語そのものです。
このエピソードを知ることで、『明日も』の持つ応援の力は格段に増します。
活動終了という結末は寂しいものですが、彼女たちが残してくれた「とりあえずまだ僕は折れない」という強いメッセージは、私たちの心に永遠に残ります。
さあ、また明日も走り出す力を得るために、もう一度『明日も』を聴いてみませんか?
そして、あなたの人生における「ヒーロー」に感謝を送りましょう。SHISHAMO、感動を本当にありがとう!

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